永続するために大切なことの一つ【記録と保存】

私が2003年から携わっている長野ささら獅子舞。
昭和50年頃、後継者が7人程度となり、存続が危ぶまれた時期がある。
そんな時、祖父が地区の自治会長をしていた頃、私が住む自治会の青年部が引き受け、昭和57年頃に保存会を発足し、今に至る。
その保存会発足後、獅子舞の中で、花笠を持つ役回りを、それまでは大人がしていたものを、赤白の綺麗な袴を用意し、町内の小学生に依頼するようになっていた。
そこに私の姉が関わるようになる。私はその頃、地元でお囃子に関わるようになっていた。
ある時、お祭りを見に行った時、いつも見ていた獅子舞の列に加えてもらったことがある。
今、獅子舞を一緒にやっている幼なじみと共に。
それはただ列に並び提灯を持つことだけだった。
小さなことかもしれないが、その当時、すごく嬉しかったことを今でも覚えている。
それから、姉の姿も見つつ、祖父からその続けるための苦労話や、立役者になっていることを常々聞いていたことがあるのかもしれないが、幼馴染と高校生のとき、約束し、地元に就職が決まった翌年の2003年に保存会に参加させてもらうことになった。
それからあっという間に20年。
今では同級生も含め、同世代で獅子方、笛方もできる仲間が増えた。
でも、過去にどんな形で舞われていたのか、記録は残っていない。
私たちが参加してから、先輩に飲みの席や練習の場で聞いてきた記憶、それと数少ない文献しかない。
継続するために、姉や仲間の協力を得ながら、それまで笛の譜面などがなかったものを譜面に起こしてもらったり、練習風景や実際の映像を残してきた。
それでも昔の人がどんな思いで、どんな形でやっていたのか?
ずっと問い続けてきたし、すごくやればやるほど興味が深まってきている。
その問いは今でも自分にとっての大切な問いである。
ただ私が参加する以前の記録は数が少なかった。
また、記録は自分達の手元にはないので、手の施しようがなかった。
過去には遡れないからである。
今回、コロナ禍ではあるが、9月11日に3年ぶりに舞を久伊豆神社に奉納することができた。
それも大切な仲間と奉納できたことが嬉しかった。
それと同時にさらに自分にとって嬉しい出来事があった。
かれこれ5〜6年前に、獅子舞で使う篠笛を浅草に買いに行った。

その時に同じく笛を買いに来ていた学生さんとバッタリと出会う。

楽器店に若い方がいることは珍しい。それまでにも何度か行っていたが、あったことはなかった。
その姿に私は不思議に思い、声をかけた。そうすると返ってきた答えは
「ささら獅子舞の保存・継承をお手伝いすることを大学の研究としてしている」
とのことだった。それは何かのご縁と思い、ぜひ先生をご紹介くださいとお願いした。
それから、先生にもご縁をいただき、コロナ禍になる前に訪問頂いたりしていた。
今回、嬉しかったことは、数年ぶりにそのご縁をいただいた学生さんに私たちの舞を生で見ていただけたこと。
それと同時に先生から驚きの報告をもらった。
私たちが参加して間もない記録(2004年、当時27歳)があったこと。
(※その資料はこちら、長野ささら獅子舞調査記録
それも嬉しかったのだが、何より保存会発足前の調査記録と共に音声記録が、大阪の民族資料を保管している場所に5時間以上の記録が残っていることを教えていただいた。
これは自分にとって、願ってもないことである。
この20年の中で積み上げてきた疑問を掴む
ヒントがあるかもしれない。
そして、その先生は保管庫に眠った調査記録を活用して、伝統文化の継続・維持に活かしていくことを実践されていきたいとの話だった。
こんな機会が訪れるとは、学生さんに声をかけたときに、生まれれるとは思っていなかった。
これからどんな記録がそこに残っているのか、自分にとって期待しかない。
そして、それらの記録から自分達が受け取り、今、取り組んでいることをどう考えていくのか考えていきたい。そんな新しい目的ができた。
それと、そのきっかけをくれた学生さんとも先日、オンラインでゆっくりと話をすることができた。
音楽や伝統文化に興味を持ち、実践している方である。好きや興味を持ち、学び実践し続けている人との話は、本当に学びがあり、刺激がある。年齢は全く関係ない。
改めて誰からも学ぶことができるし、それこそ本当に楽しいと思った。
そんな楽しい時間を過ごすことができたのも嬉しかった。

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