服装や役割について注目してみましょう。獅子舞の先導者として、面化がおります。音頭取りである猿田彦命は厳めしい顔をした面化をかぶっているので、みんなに面化と呼ばれています。

※  猿田彦命: http://ja.wikipedia.org/wiki/サルタヒコ

泥色をした天狗のような顔たちなのですが、鼻はそれほど高くないので、時々、右手に持っている軍配を叩く棒で鼻高の真似をします。もっともこれは、獅子が舞っているときのことです。面化は、時々、道化のように演じ、見物の子供達に戯れる動作はすこぶる活発で滑稽な仕草をするのですが、面をみると恐ろしさが迫って、笑うどころではありません。子供の頃、私は悲鳴をあげて逃げたのを覚えています。見物人は取り巻いて作った人垣の円は、時々この面化が近づくと何もしなくても悲鳴をあげて後ろにさがる光景が見られます。それでも人気者として、この役を演じる人の持ち味が自由に発揮されて、見ていても楽しいのです。舞に勢いをつけ、それと同時に長時間にわたる獅子舞に変化を与え、見物人の興味を促し、舞全体の統制をとって、集客へと導く役割を果たすのです。金色が光る軍配には、天下太平、五穀豊穣と書かれています。

次に獅子ですが、何と言っても舞の中心は獅子です。獅子頭をかぶり、顎から下に牡丹を象徴したとみられている模様を染め抜いた紫の布をさげ、中に入っている人の顔を覆っています。獅子頭の真下には、大きい巴の紋をつけた腹掛けをつけて、布目を通して、外を覗いているのです。

腹の部分に小太鼓を結えて、両手にバチを持ち一人立ちする獅子です。面化と同じ裁着袴にわらじをはいています。3頭一組として舞うのです。先頭の青色の雄獅子は土地の人々に方眼と愛唱されています。方眼に通じる名前でして、僧侶のような名前です。舞には、方眼が主役です。顔の長さが28cm、横22cm角の長さが32cm5mmです。中獅子は、雌獅子でえび茶色をしています。緑色は、後獅子で方眼と同じ雄獅子です。各々の獅子の歯には配色良く、金か銀が塗ってあります。

木綿の紺地に祝い事にちなんだ松竹梅、鶴亀の模様が白く浮き出ている巴布で、じばんと裁着を身につけています。裁着と袴の一種で、膝下を脚絆のようにしたものです。花笠といわれているのは、4人の少女が竹で作った花笠を頭にのせています。花割り、弓くぐりに登場するのです。昔はささらをすったのでしょうが、その仕草は現在みられません。鉢植えのかぶくをそのまま頭にのせている格好で箱形の風流傘と言うものです。花は牡丹と桜ですが、強い色彩で華やかさは目を見張るほどです。檜や杉木立がおいしげる神社の森を背景にすると一際はえて美しいのです。

歌い方は、傘をかぶり傘から布をさげていて裁着袴をつけて草履履きです。ささらの途中で歌を歌うのです。時折、木遣りのようなかけ声もいれます。舞を進行させる役目をしています。

歌い方の歌う歌詞はささらをする場所によってきまります。

久伊豆神社境内で歌う2種と長野長久寺境内での2種、がっから薬師境内で歌う2種、計6種が残っています。

あとその氏子の繁栄を願った歌です。

しめ縄にしょじの菩薩をないこめて、もうずる氏子の手足繁盛

朝日さすあさひさす夕日輝くこの森に

黄金作りの宮がたつそろう

もりも林もせみのこえなりをしずめて歌の声きけ

次に曲目について述べましょう。様式的なものとひとつのテーマを持った2種類があります。神社の境内で奉納するかかりものと、そうでない鐘巻です。かかりものは、神楽の祭物にあたる花、笹、弓などにかかったあとこれを口に加えて舞うものです。花割り、笹がかり、弓くぐりが現在行われています。古くは、門下割り、橋がかりがあったようです。一方、鐘巻は、県内でも珍しい曲目です。蛇がかりの変形で、道成寺にちなみ清姫が変身した蛇が鐘に身を隠すのですが、隙をねらって獅子がこれを飲んでしまうという形になっています。

舞の構成は、一般的には、序の舞、本舞、歌、結びの舞となっているのですが、なんせ長い曲の事、詳しく述べると、例えば、かかりものの弓くぐりの舞構成は道中下り、棒使い、しらせともいう刷り込み、そして、おかざきっきん、弓くぐり、ちらし、歌、笛の舞という構成です。鐘巻の舞構成は、道中下り、つっこみかぐら、刷り込み、おかざきっきん、鐘巻、ちらし、歌、終わりの舞となっています。次に、鐘巻の内容について説明してみましょう。面化が扮する安珍は、清姫を連れ出して、仲良く遊んでいます。そのとき、安珍は獅子が三頭やってくるのに気づきました。自分の行為を獅子に知られないように大慌てで清姫を蛇にかえて鐘の中に隠してしまうのです。

獅子がそこへやってきました。変な鐘が置いてあるので、不思議におもい、周囲の様子を伺います。かがみ込むようにして鐘の中の様子をきにしています。その鐘の中で、息苦しくなった清姫の化けた蛇が破れ穴から時々、首をだして外の様子を伺うのです。この鐘を中心にして、内と外との事態は、緊迫状態になります。舞はやんで笛の音がひときわ冴えて周囲に響きます。しばらくして突然、安珍が立ち上がると獅子方眼が他の獅子に合図して、この蛇を飲み込んでしまうのです。

このように伝えられた話があります。最初から三頭の獅子が登場しているのではじめは、理解しにくいのですが、鐘に蛇をかくすところからは話と一致しているので、みていてもよくわかると思います。

長野のささらが民俗芸能の対象となる理由をまとめてみましょう。人々の神に対する深い信仰に結びついていること、日時が恒例で神社の祭日であること、民衆的なものであり、古来多くの人々によって育成され、継承されてきたものであること、土地の人々で演技を職業とする人でないこと、まだ、演技をみることができること、今なら、継承できる事、以上、芸術的な表現形式をとって具体的に現れたものが、ささらであり、まさしく民族芸能と言えましょう。ささらの生活の歩みを知る貴重な文化遺産です。いろいろ申し上げましたが、民俗芸能をささえるべき、社会的基盤の変動により、伝承していく上で、困難な点をもたらしている現状です。このようなとき、後継者養成に尽力している方々の励みとなり、文化財保護のための一樹となれば幸せです。全体を短くまとめよという注文でしたが、長くなってしまいました。お許しください。ご清聴ありがとうございました。

昭和59年 6月 長野出身者 広川よしこ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。