六として、導入部をあげましょう。

太刀と棒使いです。今日ではやる人がいなくなってしまいました。しかし、古くは、太刀を用いて方固めを行い、そのあと、棒術が行われたと見られています。太刀使いと棒使いが二人一組ずつに別れ、立ち振る舞いの型を演じ、悪魔を払い身を清め、この芸の上をかたったのです。もっとも神社境内で奉納される弓かがりや花割りの導入部に演じたのです。つまり、神社では必ず太刀ぶるまいが行われたと言えるのです。いかにも日本の神事にふさわしい仕草です。

七としておかめ、ひょっとこによるおこわざです。どの曲のどの部分に登場したかよくわかりませんが、こういう場面があったのです。おかめ、ひょっとこの道具、いろいろあります。おかめ、ひょっとこの道化役がおこわざを演じ、風紀状よくないと言われるほどの手のこんだものであったようです。化粧道具や中国の人道と言っているぼうじに関する書道具も20年前にはあったのです。さぞわいざつなエロチシズムを発散した滑稽演技だったのでしょう。

特色の八は、所要時間が長い事、鐘巻の巻きは約1時間半、その他の曲でも、1時間はかかります。

九として舞う人、笛方、歌い方、とうに少なくとも五年から10年の年月をかけて稽古しないと一人前になれないと言われています。昔は、世襲されていたことも特色です。九として、20年前まで、道具の保存と神社の祭日にすり手の支度部屋が長久寺であったことをあげておきましょう。

十として、時代の変遷に伴い、後継者が少なくなった事、今から20年前で20代の若者がすり手として、一人も加わっていなかったのです。43年頃から祭りでも獅子舞はみられなくなりました。近年ようやく再興させつつあるのです。

次に長野のささらの形式について、申し上げましょう。まず、道中下りをご覧ください。行列の順序は次のようになっています。お祓いの麻(ぬさ)をもつ神主、氏子代表、弓を持つすり手代表、つまり、舞をする人の代表です。続いて、軍配をもって怖い顔をしたお面をかぶっていますのは面化です。雄、雌、雄の順に三頭の獅子が続きます。笛方、そして、棒使い、その後に花籠、その他の所作役が並んでいます。さらに昔は、大太鼓一台を数人で引き受けて、道中下りにだけ加わったと言われています。

道中下りの笛の音もゆかしく縦に長い、長野村を神社から、白山の方へ練り歩くので、村中を踏みしめていく感じさえするのです。この道中下りは、しんらいしん、つまり神が天より下ってくる意味をもった形態と思われています。ここに並んだ人々は、宵宮のうちに神殿でお祓いを受け、身を清められているのです。行列の目的地は、直ちに地上舞台となります。久伊豆神社、長久寺、江戸時代、栄えたというがっから薬師、そして、白山神社の各境内、それから氏子代表の家々の庭を用いた地上舞台です。行列に伴う笛の音が秀でていることも近隣の村々でも定評があります。厳かな美しい調べは響き渡る舞も繊細で長時間に渡ります。この道中下りから始まる長野のささら獅子舞は、相当大規模であったことを伺わせます。

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